結婚について X
この仕事を通じて「嬉しい」「楽しい」「よかった」「助かった」「おめでとう」「ありがとう」という肯定的な言葉、
積極的な言葉を使うことで、生徒さん親御さんに希望をもって帰ってもらう、たとえ何かにつまずいていたとしても、
勇気をもって、また受験勉強に向かってもらうことができるようになった。
しかし、このように仕事では励ますことができるのだが、家族との関係では、時に利害が対立したり、意見が食い違ったりして自分の思った通りにいかないこともある。
そして、ささいな段取りがうまくいかないときには、腹が立ったり、情けないと思って相手を非難したり、許せないと思ったりしてしまう。
尚且つ、「腹が立つことをされるから腹が立つのだし、情けないことをされるから情けないと思うのだし、だから、許せない!」と開き直ってしまう。
仕事では肯定的に考えられても、家庭では肯定的に捉えることができなくなってしまうときがあるのだ。
もう二十年近く前の話だけれど、私は三重県の桑名市で、完全に個人、つまり私一人で塾を営んでいた。夏期講習の前半が終わった翌日、休みの初日のことだ。
へとへとを通り越して何もやる気にならない。
なにせ夏期講習では小三〜中三を、朝の8時から夜の10時まで食事のとき以外、延々とみるのだ。
小学生は団地の横着な子供たちだし、中三生は受験である。
学力別クラス編成などというのは夢のまた夢で、優秀な子、真ん中の子、できない子たちをまとめて引っ張っていく。
神経をすり減らしながら、朝・昼・夕・夜と授業が続く。
そんな日が二週間ほど続いていて、それがようやく終了した翌日だ。
私は朝10時頃まで寝ていて、それからのそのそ起きてきた。
子供はもうとっくに起きていて、私を待っている。妻も待っていた。
ところが見ると、朝食は何もない。
私はとにかく休みたくて、ただただボーっとしていた。そこに妻が「朝ごはん、つくって」と言う。
こちらは、休みの初日であるし、当然作りたくない。
「なんで、こんな日に。朝ごはんくらい作ってくれてもいいじゃないか」と思って、確か無視をして聞こえないふりをした。
しかし妻はもう一度「朝ごはん、どうするつもり?子供がおなかを空かせて待っているんだけど」という。
今から考えると、妻も私がいない間、娘と格闘していたのだろう。
私が家になかなかいられない間、ちゃっちゃと作っていた朝ごはんを作るのがおっくうになっていたのだ。
しかし私は私で、これだけ大変な仕事をした次の日くらい、たった一日だけでも休ませてもらえないのかと思うと腹が立って言ってしまった。
「これだけ疲れた俺に、朝飯を作れということか?」妻は言った。
「そうだよ。今日はあんたが朝飯を作るんだよ。」
その時のことははっきりと覚えている。頭の血管がプツンと音を立てて切れたのだ。
その後はせっかくの休みだというのに大ゲンカとなり、娘がやめてやめてと言いながら泣いていて、惨々な一日になったのだった。
家庭を持つということは、妻をいたわり、子どもを大切に育てることで、その上社会では役に立つために働き、時には戦わねばならない時もある。
そして仕事でどんなに疲れていても、どんなに神経がすり減って消耗していたとしても、家庭は待ってはくれない。
妻は妻で役割を果たし、私の仕事が一段落着くのを今か今かと待っている。
しかし、お互いに余裕がなくなってくると、そんな相手のことは見えず、お互いを非難しあってしまう。
どうして、「じゃあ、今日は俺が作るよ」とか「なんとか今日だけは作ってくれないかな〜」とか、円滑に楽しくやれないのだろうか。
なぜ、仕事だと嫌な顔一つせずにやれることも、家庭に帰るとできないのか。
他人を責めれば、必ずと言っていいほど相手は意地になる。
妻は何倍にもして言葉で返してくる。どうしたら精神的に余裕がないときでも、妻の思いを受け止めて受け入れて、元気な妻に戻ってもらえるだろうか。
私は長い間、この問題を考え続けた。
相手が腹を立てていると、自分もつられてしまう。
怒りを抑えてもやがてたまってマグマのように噴火するだけだ・・・堂々巡りなのだ・・・。
答えが出たのは結婚して13年ほどたった頃だろうか。
大事なことは、妻が何を言っても受け止め、受け入れること、その上で、彼女の怒りや恐れや悲しみなど、心の闇を消してあげること。
それが大切なのだとわかったのだ。
そしてそういう気持ちになるためには、次の方法がよいのだとわかったのだった。
ある本を読んだ時である。
初めて聞く人はこんなことでできるようになるのかな、本当かな、信じられないな、と思うかもしれない。
信じられない人は信じなくても全然かまわない。
妻が何か怒っているな、恐れているな、心配事があるんだなというときに、別に戦わなくてもいいのだ。
その代わりに、
@下腹部に力を入れ、
Aお尻の穴をきゅっと締め、
B肩をすうっと下へ落とす。
そうすると妻の怒りや悲しみが、私の心にナイフのようには刺さらないのだ。
心のまわりにふんわりと綿のようなものができて、ナイフの刃が心の中までは届かないことを発見したのだ。
つまり、何か恐れや怒り、悲しみ、不安を抱えた妻がそれを訴えに来たとき、
@下腹部に力を入れ、Aお尻の穴をきゅっと締め、B肩をすうっと下へ落とす、たったそれだけで、
そのマイナスの感情に左右されることなく、冷静に話を聞くことができ、お互いに答えを出せるようになったのである。
もちろんたまには失敗することもある。
挑発に乗ってしまうのであるが、そんなときも落ち込まずに、上の@〜Bをまたやるのである。
そうすると、どんな時でも妻を受け入れることができるようになった。
この方法は、仕事でもプラスになっている。この方法を知ってから、生きていくのがとても楽になった。
では、なぜこの方法で妻の怒りを受け止めることができるのかは、また次回。